死別と心③~悲しみ~

バランスした心づくり

こんにちは、
さやはるvedaのさやかです。

今回は人の感情の一つ
“悲しみ”という面から、
死別と心について考えていきます。

悲しみは直線で表されない

人間の悲しみは、
直線で表せるほど単純なものではなく、

予想もできなければ、
穏やかで落ち着いたものでもない
と言われています。

死者を悼む気持ちは、
初期・中期・後期といったように
はっきりと区別されず、
感情が行ったり来たりして
様々な情緒を経験しながら、
初めて整理されていくものです。

悲しみは季節のようにめぐる

死別を経験した人は、
不安、怒り、適応などの心の変化を
一通り経験します。

ただし、
一度経験したら終わりではなく、
新たな発達段階で
またその対象を必要とする度に、
また同じ心の流れをたどることになります。

人生における大きなイベントや、
その喪失した対象の助けなくしては
直面するのが恐い新たな難問にぶつかった時、
かつて経験した喪失の気持ちが蘇って、
一度乗り越えたはずの感情がまた舞い戻り、
新しい悲しみがめぐり始めます。

成人式や卒業式、結婚、妊娠・出産などは、
悲しみが結びつきやすい。

もちろん、時間と共に、
悲しみの度合いは薄れていきますが、
大切な人であればある程、
その人を忘れることはできないので、
悲しみが完全にゼロにはなりません。

悲しみの断続的表出

死者の命日、誕生日や結婚記念日など、
その対象がいたときには
めでたかったお祝いの数々は、
悲しみを蘇らせるきっかけとなります。

その日を迎えると、
心の中の感情や、記憶が昔のまま蘇ってくる。
これは命日反応とも言われます。

時間がある程度経過しても、
愛する故人を断続的に思慕することは、
死者を悼む上で
正常な過程とされています。

悲しみの受容

愛する対象の死を
心で理解するためには、
何度も現実にぶち当り、悲しみ、
それを何度も繰り返すことで初めて
実感出来るようになるそうです。

例えば、
母親を喪失したならば、
人生の途中で母親が恋しくなり、
顔を見たり抱きしめてもらいたいのに、
その母がそばにいない時。

「お母さんはいない、
お母さんはいない、
お母さんはいない」
と苦しみながら現実にぶち当たることで、
それが死の理解につながっていく。

現実に繰り返しぶつかることが、
喪失による悲しみを乗り越える上で
大切な過程となり、
死を悼む勇気を少しずつ持てるように
なっていきます。

(以上、2007年に書いた卒論より引用)

まとめ

私自身も、
死別の悲しみという感情は
簡単にコントロールできるものではないと
身をもって経験しました。

振り回されるように感じることも
あるかもしれませんが、
焦らず、ゆっくりと向き合って、
感情をしっかり感じ切って
過ごされてほしいなと思います。

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。

悲しい想いをされている方へ、
少しでも生きる光になりますように。

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