積善マインドは1日にしてならず

バランスした心づくり

先週の記事を書いてから、
私はまだまだ手放せないジャッジがあるなと
気づかされました。

アメリカでは先週(学校によってはもう少し前)から、
新学期が始まりました。

Cov-19の影響により、現時点では、
公立はオンライン、私立は通いという選択肢。

我が家もかなり悩みましたが、
様々な条件を話し合った上で、
私立の通いを選択しました。

”正しい答え”は存在しないので、
家庭それぞれが責任を持って選択し、
その選択を後悔しないというのが大切ですね。


さて、5か月以上ぶりの学校生活。
私にとっては5か月ぶりのまとまった自分の時間。

ホッとしたのもつかの間、
最初の数日で2人とも微熱を出し、
結局週のほとんどをお休みしました…ちーん。

ゆっくりペースで慣れていくしかないのですが、
ここでやはり執着のクセが出ます。

本当だったらもっと色々できたのに、
予定していたことが進まない…、
とイライラ。

自粛中は完全に諦めて
隙間時間で対応できていたことが、
学校に行ってくれていたらという可能性がある分、
集中してできないことにイライラしてしまう。

自分のための時間は、
子どもと過ごす時間より価値がある、
というジャッジ。

手放して、
目の前の現象から学ぶ意識にシフトして、
バランスを取るまでに、
ちょっと時間がかかりました。

環境の変化にいちいちブラされる自分に、
まだまだ不器用だなぁと感じますが、
これもまた練習ですね。


前回の記事で、
ジャッジを手放すことは、
自己受容力に繋がると書きました。

つまりは、
自分への優しさに繋がるということ。

そこが満たされてくると、
次は周りへの優しさに意識が向きます。

“積善”という言葉、
聞いたことがあるでしょうか。

徳積みとも言われますが、
ようやくこの言葉の意味が、
腹落ちしてきました。

今回は、
積善を通して気づいた、
世界との優しさの循環について、
お届けしたいと思います。

徳を積めないマインド

積善とは、
世界が喜ぶことを積み重ねてくと、
徳を積むことに繋がり、
巡り巡って自分や家族に幸せがもたらされる、
という考え方。

私はこの言葉には、
1年以上前に出会いました。

具体的には、
モノを丁寧に扱う、
食べ物に感謝する、
見返りを期待せずに人が喜ぶことをする、
世の中や人のためにお金を使う、
挨拶をする、
などなど。

こうしたことを積み重ねられる人が、
自然と豊かさに囲まれた人になる、
時にはこれができる人がビジネスで成功する、
と言われたりします。

私自身、
その行動の大切さを頭では分かっていて、
行動は起こしてみるものの、
ずっとマインドがついてこずにいました。

“そうするといいと言われているから”、
“そう思った方がいいと言われているから”、
行動してみるという面が多々あった。

例えば、
モノを丁寧に扱うことでも、
モノにも心があると聞いたから、
キレイな空間には
いいエネルギーが流れると言われいるから、
掃除して感謝するように心がけよう、
といった感じ。

食事にしても、
食材に感謝の気持ちを持った方がいい、
食材の育ってきたストーリーを意識すると、
うまみが引き出せると言われているから意識しよう、
とか。

この場合、
それをすることの本質的な理解がないので、
行動に気持ちがこもりません


以前、
『トイレの神様』という曲が流行りましたが、
トイレ磨きは大切と言われているけど…、
トイレ掃除面倒だなぁとなったり。

私にとっては、
靴や鏡を磨くことも、
電化製品やガス台をキレイに保つことも、
いいとは分かっているけど面倒だなぁと、
本音は感じていたり。

細かな掃除は面倒だけど、
空間はきれいに保たないとならないから、
キレイじゃない状態は
家庭のエネルギーを下げるから
という意識からの行動では、

べき・ねばに苦しめられる間違った方向に
向かってしまいます。

これがつまり、
あり方が調っていない状態で、
やり方を行っている状態。

このように上辺だけの理解で、
マインドがついてこない状態では、
行動の継続もなかなか難しくなり、
積善の効果も感じにくい、
ということになってしまいます。

ポイントは”自然と”

そんなこんなで、
マインドが伴わない中でも、
なんとなく行動を重ねてきた1年。

その中で、
私の意識に変化をもたらしたのが、
マインドフルネスです。

例えば手法の1つであるボディスキャンでは、
身体一つ一つに意識を向けて、
ここに存在してくれることを意識化していきます。

見えないけど私たちの生活を支えてくれる、
免疫システム、血液、内臓、筋肉、骨…、
顕在意識を超えた支えを感じていくと、
自然と感謝の気持ちが芽生えます。

自分で意識してやれることなんて、
ほんの少ししかないんだということが、
感覚的に腹落ちするほど、
謙虚な気持ちが生まれます。

そうすると、
日常の意識に変化が起こりました。

周りに存在してくれるもの、
今日自分と関わってくれた人、
自分の目の前に起きている現象に、
”自然と”感謝の気持ちがあふれる様になる

例えモノに対しても、
いつも私のために働いてくれてありがとう、
キレイに長く元気でいてね、
と心からの感謝を持って接することができる。

家族に対しても、
どうしていつもこんなにやらないとならないの、
ではなくて、
家族が心地よく過ごせるようにはどう動こうかな、
という思考になる。

自分が生きることを支えてくれる全てが、
当たり前ではないことに気づけ、
優しさでお返ししよう
という気持ちが起きる様になる。

他にも様々なシーンで、
意識の変化がありました。

自己犠牲でもなく、
自分の心地よさを無視するわけでもなく、
心から感謝する気持ちをベースに
行動を起こせるってとても心地よい

感謝した方がいいから感謝するようにする、
のではなく、
自然と感謝が溢れる状態に、
自分を調えていくこと


文章では伝えにくいのですが、
ここに大きな差があります。

土台は自分が調っていること

ここまで書いていてふと、
シンデレラも積善の話だったのかなぁ、
と思いました。

でも、シンデレラの様に、
優しさから自己犠牲するのは、
ちょっと違う。

以前記事にも書きましたが、
まずは自分へ優しさを十分注ぐこと、
これがとても大切です。

自分が調って、
優しさのコップが満たされていないと、
自然と感謝が生まれる、
という状態にはたどり着きません。

そのためには、
私が今まで様々な角度から書いてきた、
まず自分を許して緩めること、
その上でバランス力を磨いていくこと

このステップが欠かせません。

そうして心の雑音が消え、
自分の軸と繋がれるようになるほど、
世界の見え方が変わるのだと思います。


私自身、
小さなころから負けず嫌いで、
人と比較し、勝負や競争に勝つことが、
ずっと手放せませんでした。

実際今もそう。

人への優しさが自然と溢れるって、
どうしたらいいのか、ともがいています。

でもまずは、
自分を生かしてくれている身体に、
日常を支えてくれている空間に、
日々愛で支えてくれる家族に、
自然と感謝があふれるようになれたこと。

ここからまた何か、
変わっていくのかなと思っています。

全てはステップバイステップですね。

おわりに

自然と感謝ができるようになってから、
積善の行動を積んだ方がいいのか。

それはそうではなくて、
まずは行動をしてみることから始めるのが
いいと思います。

ただし、
上辺をなぞっているだけなのに、
効果がないとか、
意味を感じられないとやめてしまうのではなく、
その本質的な意味が腑に落ちるまで、
探求するマインドが必要不可欠。

そうして
行動とあり方の探求を両輪で行っていく中で、
ふと変化が起きる日が来て、
“気づける”日が来るのだと思います。


”ふと”、”自然と”
を実感するための一歩として、
足裏を意識して過ごしてみてください

いつも私たちの体重を支え、
色々なところに私たちを運んでくれ、
たくさん働いてくれている足の裏。

足が床につく時、離れる時、
靴下をはいている時、裸足の時、
立っている時、座っている時、
足裏は日々どんな感覚を感じているでしょうか。

そうして気づいていく中で、
ありがとうの気持ちが
湧いてくるかもしれません。

そうしたら、
ぜひ感謝の気持ちと共に、
労わってあげてみてください。

”自然と”が体感できるかもしれません。

今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

みなさんが、
心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。

タイトルとURLをコピーしました