中庸の精神とバランス力

満たされた心づくり

最近、
中庸という考え方について、
ブッダの修行の話を聞く機会がありました。

ブッダが悟りをひらくまで、
断食をしすぎて、
一度死にかけたそうです。

そこまでいった時に、
自分を痛めつけるだけでは、
自分を追い込むだけでは、
悟りを開くことはできない。

中庸の状態に行きつき、
悟りを開いたとのこと。


中庸とは、
極端に偏らずに真ん中にあること。

現代の言葉で言うと、
“バランス力“となります。

今回は、
中庸な精神、バランス力について、
お届けしたいと思います。

執着を観察する力

私自身、
バランスを取るということが下手で、
試行錯誤してきました。

やり過ぎず、やらな過ぎない。

常にバランスの取れた
偏りのない状態であることは、
なかなか難しいことです。

正解がほしい、
早く答えにたどりつきたい、
間違えたくない、
はっきりしたい、
完璧でありたい。

今まではこんな気持ちから、
人生を焦って、
とてもバランスを崩しやすい状態でした。


この焦りの気持ちに見え隠れするのは、
執着の気持ちです。

バランス力に大切なことは、
執着を観察すること。


前回の記事でお話しした、
決めて選択したら、
他のことに執着を残さないという話。

“決めて選択する”とは、
例えば優先順位をつけて予定を立てたら、
全てその通りに進める
ということとはまた違います。

1日の中で予定外のことは当然起こるし、
中断しなくてはいけなくなることもある。

そうなった時に、
やり途中でいったん離れることに対して、
執着を残さないということ。

これを終わらしちゃいたい、
という執着を手放すほど、
軽やかに瞬間瞬間を動けるようになります。

立てた予定を完璧にこなすというのは、
一方に偏った状態です。

かといって予定外のことが起こるから、
計画を立てないこともまた違う。

やることを整理したり、
ある程度の優先順位をクリアにすることは、
集中するためには必要です。

決めたことをやる際に
本気で取り組む集中力を持つこと。

集中力を上げるために段取りを組むこと。

とはいえそこに執着しないというバランス感。


右にも左にも上にも下にも
行きすぎないイメージです。

これには執着を観察して、
執着を感じるたびに手放す練習

必要になります。

この世に絶対はない

執着を手放すという意味で、
バランス力は“囚われない力”と言えます。

今に集中することは、
未来のことや過去のことを
全く考えないということではなく、
囚われないということ。

未来の希望や目標、
こうなりたいという志を持つことも、
過去の自分を整理することも必要。

でも、
過去や未来に執着して、
こうでなければ自分ではないだとか、
私とはこうあるべきと囚われてしまうと、
意識が今に留まることができなくなります。

本気で生きるために、
人生の期限を意識して、
目標意識を持って生きる一方で、
そこに執着し過ぎずに、
流れに身を任せられる柔軟さも持ち合わせる。

自分の大切にしたい信念や
譲れない価値観はクリアにする一方で、
こうあるべきという価値観に
縛られないしなやかさも持ち合わせる。

この中庸なバランス感、
とっても美しく感じませんか。

人って、これだ!と思ったら
そちらに偏ってしまいがちです。


それは最初に書いた様な、

正解がほしい、
早く答えにたどりつきたい、
間違えたくない、
はっきりしたい、
完璧でありたい

そういった気持ちがあるから。


常にニュートラルな視点に戻る意識を持つこと。

この世に“絶対”はないという意識を持つこと。



そんな意識を持って生きることで、
しっかりとした自分の心地よい軸を持ちながらも、
執着のない客観性も持ち合わせている、

そんなバランス力が
磨かれるのではないでしょうか。

おわりに

人生を深めるためにも、
幸せを増大させていくためにも、
中庸の精神、バランス力は欠かせません。

ヨガではポーズ(アーサナ)を通して、
身体のバランスを感じることからも、
バランス力を体感と共に深めていきます。

バランスの取れた心と身体で、
心地よく毎日を過ごして行きたいですね^^

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今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

みなさんが、
心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。
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