外出禁止令から紐解く心のしくみ

バランスした心づくり

こんにちは
さやはるvedaのさやかです。

落ち着かない日々が続いていますが、
ストレスは溜まっていませんか。

こういう時だからこそ、
静かに自分と向き合う時間を
大事にしてくださいね。


アメリカでは、
新型コロナウイルスの影響で
子どもの学校が基本休校となり、
家にいるのが一番の安全という事態
になりました。

そうなったことで初めて、
今までずっと手放せなかった価値観、
そしてその裏にある罪悪感の存在に
気がつきました。

今回はそんな
誰もが持っている罪悪感に、
どう気づいていけばいいのか、
についてお届けしたいと思います。

好きで生きるなら苦労すべきという価値観

学校の休校がスタートし、
気づくことができた価値観の1つ。

それは
”好きで生きるなら苦労すべき”、
というもの。

私は
存在意義や使命感を感じて生きたくて、
好きで納得のいくことで生活がしたくて、
大企業を辞めました。

でも、好きなことで稼ぐなら、
会社で働いていると同等、
もしくはそれ以上の時間を仕事に割かないと、
好きなことでは稼げない
と思っていた。

そんな甘くない道のりだと
散々言われたからこそ、
形にするために苦しいのは当たり前、
と思い込んでいました。

だから自己実現に向けて、
睡眠時間も削るし、
休むことはできないし、
家族との時間も削って過ごす日々。

自分の時間が取れないと、
“自己実現に向けて頑張っていない自分“
に対して罪悪感が大きすぎて、

イライラが募り、
自分を責め続けていました。

子どもができて自分の時間が限られると、
今度は子どもを責める様になりました。

子どもさえいなければ、
もっと自分の時間が取れて、
自己実現のために頑張れるのに…。

子ども達のことは
心から愛しているのに、
そう思ってしまう苦しさ。


自己実現に近づくために、
子ども達を幼稚園に預けて、
時間を確保して、自分を追い込み続けました。

それこそが私が望む生き方だと思っていた。


でも、その裏には、
頑張っていない自分に対する自責、
=罪悪感があった
のだと、
コロナショックによる
生活の変化で気づきました。


この罪悪感を許せるようになると、
子どもが家にずっといて、
明らかに自分の時間は減っても、
最低限の自分のための時間さえあれば
自己成長も感じられる。

費やす時間=自己実現
=お金に繋がるではない

ことがようやく腑に落ちました。


私にとって心地よいのは、
時給ではなく存在給で生きること

会社にいた時同等かそれ以上の時間を
費やさないといけないという考え方は、
完全に時給の考え方。

存在給の意味が深まり、
そちらの道へ向けて一歩前進できました。

頑張っていないとここにいる価値がないという価値観

もう1つ、
子育てや家事をする自分への罪悪感
が明確化しました。

その罪悪感を持つようになった理由は、
育ってきた環境の中にありました。

”お金を稼げる人こそ価値がある“
”お金を稼ぐことに時間を割かずに、
子どもや家事に時間を費やす人は無価値だ”

これは私の母自身の苦悩からの教えでした。


母は専業主婦であることで無価値感を感じ、
そんな自分自身が大嫌いでした。

自分の存在価値を見い出すために、
様々な試行錯誤をし、苦労をしていました。

自己肯定感も低く、
努力をして周りからも評価されているのに、
自分の価値を低くみていました。


私もその価値観を
そっくりそのまま受け継いで、

更には“自分だからこそできることで”
という教えも加わり、

“自分だからこそできることで
稼いでいない以上、生きている価値がない“
”頑張っていないとここにいる価値がない“


と思うようになりました。

だから、子供を預けて、
自己実現のための練習や勉強に、
時間を使わないといられなかった。

そうしていない自分では、
罪悪感でいっぱいになって
耐えられなくなる。


現状維持はありえないので、
今が幸せと思うなんてもってのほか、
罪悪感を少しでも減らすために
頑張って頑張って頑張り続けてきた。


この価値観(罪悪感)の存在にも、
強制的な生活の変化が
気づかせてくれました。

前回のブログにも書きましたが、

今日々を暮らせている中で、
自分が本当に望む幸せって何だっけ?

豊かな暮らしを定義するとどうなるだろう?



いいんだな、と。

頑張っていたって頑張っていなくたって
ありのままでいるだけで存在価値はある


母に見捨てられそうで
こわくて感じてきた罪悪感は
手放して大丈夫。


縛られている価値観の裏にある、
大きな罪悪感に気づくことができ、
心が本当に望んでいた生き方へ
時代の後押しを感じます。

大変換期だから気づけるわけ

どうして国からの禁止令が出て
初めて気づくことができたのか。

その理由はこんな感じです。

国が学校を休校措置
→自分の価値観に関わらず生活が変わる
→家で子どもと過ごすことが一時的な常識になる
→自分を責める必要がなくなる
→自分を責めなくても生活がまわる
→むしろより幸せを感じたりする
→もしかして不要な価値観に縛られていた?
→その裏にあった罪悪感に気づく


これをご自身が置かれた環境に置き換えて、
読んでいただければと思います。

国からの禁止令が出ると、
そこに強制力が働くので、
否が応でも生活が変わる。

だからこそ気づけるチャンスです。

自分が本当に求めていること、
大事にしたいことを知るチャンス。

ずっとしがみついてきた価値観を
緩めるチャンスです。


どんな家族との過ごし方が心地よいか?
どんな働き方が心地よいか?
どんな余暇の過ごし方が心地よいか?
どの位のお金があれば心地よい生活ができるのか?

本心は何と言っているでしょうか。

おわりに

新型コロナウイルスを引き金に、
世界は確実に変わっています。

今の世界、生活、教育の常識は、
産業革命後200年ほど
で確立したものだそうです。

たった200年。
でもそれに縛られて動けなくなっている。

経済的にも、
ライフスタイルや価値観としても、
豊かさが増した一方で、
無理に無理を重ねてきた部分が、
ウイルスを引き金に
ここにきて崩壊し始めたと考えられます。


今までこうだったからは通用しなくなる

通用しなくなるからこそ、
“でも”、とか、“とはいっても”、
はもう手放して大丈夫です。

今回私が罪悪感に気づき、
心地よい生活へと前進できた件。

仕事に費やす時間、
子育てや家事に費やす時間、
夫婦で過ごす時間等々が
どれだけだといいとかそんな話ではなく。

縛られた価値観で
自分の本音に蓋をして
偏った選択を重ねるのではなく、
自分が心地よいと感じる
選択だけを
重ねる人生を生きていいということ


それがこれからの時代の
スタンダードになっていきそうですね。

+++++
今日も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

みなさんが、
心から自分を大好きになって、
ナチュラルで幸せな毎日を過ごせますように。
+++++

タイトルとURLをコピーしました